石井 遼介「心理的安全性の作り方」日本能率協会マネジメントセンター (2020)

石井遼介さんの「心理的安全性の作り方」日本能率協会マネジメントセンター (2020)は勉強になる本だった。





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自著の「いのちは のちの いのちへ」アノニマ・スタジオ (2020)の中でも、新しい医療の場、というものを色々な角度から書いていますが、ポイントは、自然治癒力が高められる場を作ることが新しい医療の場になる、ということです。

そのためには心理的にも安全な場こそが、内的な生命世界の力を高めることができる、ということでもあります。


そうした中で「対話」が大事なキーワードなのですが、真の創造的な対話とは何か、と、色々な角度から述べました。















「いのちは のちの いのちへ」の中では、「オープンダイアローグ(open dialogue)」や「交流分析(Transactional Analysis:TA)」や「中動態(middle voice)」・・・などを取り上げましたが、「p4c(ピーフォーシー)(子どもの哲学(philosophy for children)」も注目しています。


「p4c(philosophy for children)」は、教育現場で取り入れられている対話の作法・技術のことで、「問い」を共に考え、共に探求します。その中で最も大切にされていることも「場の安全(セーフティー)を保つ」ことです。

わたしたちは「場の安全(セーフティー)」が保てさえすれば、互いをなじったり、けなしたり、足を引っ張り合ったりする場ではなく、お互いのいいところを探したり、助け合ったりする場になる。そうした根底にある見えざる場づくりこそが、自然治癒力が最も発揮される場になるではないかな、と思ってます。









そういう意味では、今のメディア報道の状況を見ていると、「場の安全」がまったく保てていない場になっていますよね。誹謗中傷、有名人・芸能人・政治家には何を言ってもいい、という状況の中で、相手への尊厳をまったく考えず、批判や足の引っ張り合いばかりが起きているような気さえします。

TVをすこしつけた時の集団イジメ・集団ヒステリーのような光景を見ているだけで、若い世代はどう感じるのかな、と危惧します。そして、感情的に巻き込まれたくないので思わずスイッチを消しますが。世間自体の「心理的安全性」が保てていないと、社会に出ていくこと自体に恐怖を感じるのではないでしょうか。不登校などの社会的背景を醸成しているようにも感じます。TVはスイッチを消せば見なくてもいいですが、そうしたメディアのムードが社会の無意識をせっせと醸成していると思うと、その見えざる無意識の力こそが、恐ろしいです。

子どもたち、わたしたちの「場の安全」を保つにはどうすればいいか、と、TVを見たときには反面教師になりますが。




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やや脱線しましたが、そうした「場の安全」を考る上で、そして「安全」を守る病院という組織の在り方を考える上で、「心理的安全性の作り方」の著書には、とてもいい刺激を受けました。


「恐れのない組織――「心理的安全性」が学習・イノベーション・成長をもたらす」英治出版 (2021)の著者でもあるエイミー・C・エドモンドソン(ハーバード・ビジネススクール教授)氏によると、1999年の時点で「チームの心理的安全性」について述べています。

「チームの心理的安全性とは、チームの中で対人関係におけるリスクを取っても大丈夫だ、というチームメンバーに共有される信念のこと」




多くの組織では、対人関係のリスク(仲が悪くなるんじゃないか?という心配)が、健全に意見を戦わせ、生産的でよい仕事をすることを阻害している。


心理的「非」安全なチームは、罰を与えるチームになっていて、「うまくいくの?」、報告は単に仕事が増えるだけ、犯人捜し、意見対立で人間関係にヒビ、ということが起こる。


対人関係では、

・「無知」だと思われたくない→必要なことも質問せず相談をしない

・「無能」だと思われたくない→ミスを隠す、自分の考えを言わない

・「邪魔」だと思われたくない→助けを求めず、不十分な仕事でも妥協する

・「否定的」だと思われたくない→本音で議論をせず、率直に意見を言わない

ということが、チーム全体がうまく機能しない要因になる。


つまり、チームの成果のためや、チームの貢献を意図して行動しても、「罰を受けるかもしれない」という不安を感じている状況で、チーム自体が成長することができず、よくても現状維持が関の山になるのでしょう。



心理的「非」安全なチームや心理的安全性が低い職場では、必要だと感じることでも行動しなくなって、チーム全体のために、と思って行動しても罰を受ける、という不安のリスクのある職場になってしまう。


一方、「心理的安全性が高い」チームでは、健全に意見を戦わせ、生産的でよい仕事をすることに力を注げる職場になる。



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ポール・オスターマン教授(MITスローン経営大学院)は、

「職場におけるチームという概念自体が、1980年代以降、最も広まったイノベーションの一つだ」と述べています。


確かに個人技や職人芸だけに注目するのではなく、チームや組織全体としてどういうパフォーマンスができるのか、というのは、人の流動性が高まり、お互いに本音のところをあまりよく知らない人たちが協力して仕事をする、という現代的な仕事のあり方の中で、今改めて考え直すテーマなのかもしれません。




注意すべきは、「心理的安全なチーム」は、外交的であることでも、アットホームな職場でも、結束したチームのことでも、すぐに妥協するヌルイ職場のこともない、ということ。

結束したチームは、異論を唱えることが難しいチームでもある。


改めて、心理的安全なチームとは何か。

それは、全体のために必要なことを発言したり新しいことをチャレンジしても安全が保証される(罰を与えられたりしない)チームのことです。




高い基準を掲げる仕事は、妥協点が高いことを意味しています。

目標を下げて現実に合わせるのではなく、妥協点を高く保ちながら仕事を進化させていくことが大切です。


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(1)心理的安全性が高い+基準(Standard)が高い

→学習する職場:健全な衝突と高いパフォーマンス

(2)心理的安全性が高い+基準(Standard)が低い

ヌルイ職場:コンフォートゾーン、仕事の充実感はない

(3)心理的安全性が低い+基準(Standard)が高い

キツイ職場:不安と罰によるコントロール

(4)心理的安全性が低い+基準(Standard)が低い

サムイ職場:余計なことをせず自分の身を守る

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(1)のように、心理的安全性が高い+基準(Standard)が高い、というチーム作りを目指す必要があります。

実際は、(2)~(4)のチームになりやすいので、定期的に共通目標を共有することが大事なのでしょう。




「心理的安全性が高く+基準(Standard)が高い」素敵な職場では、「健全な衝突(healthy conflict)」が推奨され、チームを育てます。


このことは、個人の心の世界でも同じですね。心理的には「葛藤」状態の時期こそ、異なる矛盾する概念がぶつかり合いながら、一つ上の認識の次元に上がろうとしている時で、「葛藤」こそがその人の宝だったりします。


心理的な「葛藤」状況に耐えられなくなると、大抵は見ないふりをする(抑圧)で、その場をやり過ごすのですが、そのことを繰り返していると、別の状況で同じパターンを繰り返し続けてしまいます。



日本の組織では、(1)話しやすさ(何を言っても大丈夫)、(2)助け合い(困った時はお互い様)、(3)挑戦(とりあえずやってみよう)、(4)新規歓迎(異能、どんと来い) の4つの因子があるときに、心理的安全性が感じられる、とのこと。

この研究結果の中で、慶應SDMの前野隆司先生の名前が出てきて驚いた~!流石です!!






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リーダーは立場のことですが、リーダーシップは立場に寄らず、他者に影響を与える能力のことを指します。

心理的に柔軟なリーダーシップとは、

(1):変えられないものを受け入れる

(2):大切なものへ向かっていく

(3):マインドフルに見分ける(気づいている)

のこと。

こうして、どんな立場の個人の中にもリーダーシップを育てていくことは、それぞれが「心理的に安全な場」を持っているかどうかに関係があるのだ、ということに、本を読んでいて気づきました。


つまり、

(1):変えられないものを受け入れる、という心理的状況を達成するためには、「思考=現実」という思い込みから脱出することが必要で(自分が考えていることと、実際の現実とは違う、という理解)、嫌な気持ちをコントロールせずに受け入れるていく、創造的絶望とも言われる、自分の感情との付き合い方も重要になります。


(3):マインドフルに見分ける(気づいている)、という心理的状況を達成するためには、「いま、ここ」という今の瞬間への気づきと集中が必要で、これは禅や瞑想や呼吸法で古来から大切にされている感覚です。

そして、「観察者としての私」の視点を持ち、自分の思考や感情、感覚や記憶を、他人を眺めるかのように距離を取って観察できる「安全な場所」を常に自分が確保しておく、ということこそが、自分や相手の感情に巻き込まれず、短期的にも長期的にもよりよい選択を続けてい行く土台になる。


本書では、行動分析で行動を変えることが色々と書かれていて、認知行動療法などの実践応用のようにも読めました。







現代のような正解のない時代には、意義ある意見の対立は推奨するべきでしょう。その土台として、「心理的な安全性」が確保されていることこそが大前提です。


人間の行動は、動物行動に言語行動が加わっているもので、言葉はいまここにない現実を作り出します。言葉には力があります。


だからこそ、言葉の力をうまく活用しながら(悪用せずに)、行動へとつなげ、病院も含めて組織やチームをより良いものにしていく必要があるなぁ、と感じました。



どんな人でも、心地よく、心理的に安全な場で働きたいと思うでしょう。

そういう職場でこそ、訪れる人も「心理的な安全」を感じ、自然治癒力も高まるのではないでしょうか。


新しい医療的な場をつくるためには、まずその組織や病院自体が、心地よく安全な場でないと、根っこが折れてしまいます。学校などの教育の現場も同じだろうなぁ、とも。


そうしたことを改めて考え直す良書でした。

何らかの組織で働く人であれば、どんな人でも学びのあるテーマかと思います。

自分自身の家庭の場やホーム自体が、まさに「心理的安全性」を守る最重要な場だとも思います。