明日ですが、11/25身心変容セミナーで話します。

11/25水曜、身心変容セミナーで話します。Onlineです。



11/25以外にも面白い講師陣の話が勢ぞろい。 今回は久しぶりの講義形式なので、90分?くらい、喋りまくります。笑

当直明けで疲れてる可能性もありますが汗、頑張ります。

ご興味あればどうぞー!


■2020/11/25(Wed)(19:00-21:00)(Online):身心変容技法オンライン・セミナー 第4回 稲葉俊郎「医療と身心変容技法について」(by.サンガ、身心変容技法研究会)

詳細Web

 〇第1回:10/10(18-20):鎌田東二×熊野宏昭「身心変容技法とは何か」  〇第2回:10/23(19-21):井上ウィマラ「マインドフルネスと解脱:子育てと看取りの視点から」  〇第3回:11/15(10-12):「虹の身体―チベット仏教の瞑想と身心変容技法―」  〇第4回:11/25(19-21): 稲葉俊郎「医療と身心変容技法について」  〇第5回:12/10(19-21):藤野正寛「マインドフルネスの脳科学」  〇第6回:12/20(15-17):鎌田東二「神道の身心変容技法と音霊・言霊」





ちなみに。

以前、仏教雑誌サンガに書いた原稿の一部が、HPで公開されています。ご興味あれば。

いのちの歴史と未来の医療(稲葉俊郎)

https://samghajapan.net/article0011 (2015年のサンガジャパンVol.21 特集「輪廻と生命観」:稲葉俊郎「いのちの歴史と未来の医療」)



 「身体と心の状態を当事者にとって望ましいと考えられる理想的な状態に切り替え、変容・転換させる知と技法」をテーマにした連続オンライン・セミナー第4回「医療と身心変容技法について」(2020年11月25日開催)を前に、講師の稲葉俊郎先生による医療に関するコラムを紹介します。


いのちの歴史と未来の医療(稲葉俊郎)

2020年11月20日 コラム, サンガジャパン抜粋記事



偏見を強めるためではなく自由になるため


 自分は西洋医学の医療現場に携わっている。専門は循環器内科医であり、心臓を血管の中からカテーテルという道具を用いて治療することに24時間365日休みなく従事している。ただ、医療は多面的な世界であるため、その他にもさまざまなアプローチで医療に取り組んでいる。学生時代はすべての休みを登山に使っていた。自然や山への恩返しをしたいという思いから、夏には山岳医療にも取り組んでいる。山の中では下界での現代医学とは違い、物資に乏しい中で色々な工夫をしてベストを尽くす事が求められる。山という自然の中では原始的な医療の本質を考えさせられる。また、週に一回は在宅医療に携わり、患者さんのご自宅に往診することで心臓以外の総合診療にも従事している。そこでは老いや介護や看取りや死という現実的で泥臭い問題にも直面する。


 日々こころやからだのことを広く深く追究していくプロセスの中で、西洋医学にとどまらず、あらゆる伝統医療や代替医療、民間医療も学び続けるようになった。なぜなら、現場で真面目に働けば働くほど西洋医学だけでは不十分であることを痛感しているからだ。学問は偏見を強めるためではなく偏見から自由になるために行うものだ。大学という学びの場でそういう学究的な姿勢が失われているように感じるのが残念でならない。医学部や西洋医学の現場では、西洋医学以外でのアプローチを学んだり応用したりする機会に恵まれない。例えば、自分が学んだ東京大学医学部では東洋医学や漢方の講座すらなく、それぞれの医師が必要と感じたときに働きながら独習しているのが現実である。


 医学には西洋医学だけではなく、伝統医学(東洋医学・中医学、インドのアーユルヴェーダ、ギリシアを起源としたアラビア・イスラーム文化圏でのユナニ医学、チベット医学など)があり、こころやからだやたましいへのさまざまなアプローチをする補完代替医療(あらゆる手法がある)があり、民間の中で伝えられてきた民間医療がある。自分は困っているひとの助けになりたいと日々感じているため、自分が学びたいことは足を運んで色々な方に教えを請い、貪欲に学ばせてもらっている。自分は医療のプロとしての誇りを持っているからこそ、からだやこころのことで知らないことは知らないと謙虚に認めて学びたい。さまざまなアプローチでこころやからだやたましいに接している方々から、あらゆる可能性にこころを開き、その智慧や技術を学びたい。科学は普遍的な知慧に至るものだが、ひとはそれぞれが個別的に全員違う。だからこそ、普遍性と個別性と、両方向性からのアプローチが必要になるのだと思う。


 ひとのからだに対する一般的な知識を学習することは大事なことだが、医療で行うことは方程式に代入して同じ結果が出るような単純な機械作業ではないため、常にそれぞれのひとに応じて個別の修正を図る必要がある。そのために、伝統や歴史や現場の中で受け継がれてきたさまざまなアプローチを組み合わせていくことが、今後は必要なのだと感じている。


「治す」と「治る」――生きる



真理を語ること。怒らないこと。

頼まれたら少しでも助けてあげること。

この三つを実践する人は、

神々の世界に行くだろう。(二二四)

アルボムッレ・スマナサーラ『原訳「法ダンマパダ句経」一日一悟』



 医師になりたての頃は、自分が「病」を治したい・よくしたい、ということに関心があった。とにかく知識と技術を深めていくことに関心があった。治す治療の技術の研鑽に努めていた。


 ただ、実際の医療現場で患者さんと向き合っていると、少しずつ考えが変わっていった。医師としての自分が治す、というよりも、患者さんの力で「病」が治る・よくなっていく、というふうに、自分ではなく相手へと主体が変わっていったのだった。あくまでもそのひと自身の力で治っていくことをできる限りサポートしていくのが医療の役目だと思うようになった。そのことは、自然治癒力という生きているひとが生きている限り持っている、調和の力を信じることでもある。


 さらに臨床の現場を重ねていくと、病をよくする、病がよくなる、という領域を越えて、〈生きる〉という「いのち」そのもののプロセスへと焦点が当たるようになった。病気が治る、治らない、という次元にこだわりすぎることなく、ひとが生きて、老いて、死んでいく、というプロセスにいかにして寄りそうことができるか、ということが本質なのだと実感するようになった。


 ゴータマ・シッダールタが生涯かけて取り組まれたように、生老病死というプロセスには人間にとって非常に重要なことが内在している。それぞれの人生には個別的な深い意味があり、そのことを自己発見していくプロセスこそ大事なことだ。人生の主役は、1回性の人生を生きているそのひと自身なのであって、それは誰かと比較したり代わったりできるものではない。


 病は、よくなる場合もあれば、よくならない場合もある。あらゆる手を尽くして努力しても、この大自然から与えられた寿命や天命というものに、ほんの少しも触れることすらできないこともある。


 私たち医療者は、病で困っているひとを助けるために最善の努力をし続ける。もちろん病を治すことは大切なことだが、現場で経験を積む中で、それだけでは不十分であることも強く感じるようになった。なぜなら、病の奥底にある病の深い意味や、病というプロセスの全体像からメッセージを受け取らない限り、病は別の形で再び現象化してくることを嫌というほど何度も経験しているからだ。だからこそ、病を治す努力とともに、相手の人生にとって病がどのような意味を持つのかを医療者として理解しようとし、病の意味を自己発見しながら人生を生きていくというプロセスが、極めて重要なことになるのだ。それは、病を短期的な視点だけで見るのではなく、人生という長いスパンの中で長期的な視点で見るということだ。


 長期的な視点というのは、1つの人生(Life)という視点でもあるが、さらに視点を引いて、ひとのからだやこころに宿るいのち(Life)そのものが、果てしない過去から受け継がれ続けているという、個を超えた視点のことも含む。人間という存在には、1人の人生だけではないさまざまな時間が同時並行で流れているものらしい、ということを感じるようになった。

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