巨大な包容力の知性と人格に、ぶつかり稽古をした日
先週は、最も尊敬するお一人である養老孟司先生と対談をさせてもらった。プライベートでは話したことがあっても、公開の場でははじめてだった。
今、養老先生は82歳だが、とにかく記憶力がすごい。縦横無尽に引き出しが開き続けるので、その連鎖と連想の連続は、養老先生の脳内シナプスのネットワークを網の目のようにかぶせられるようで、驚きと共に白熱し、あっという間の二時間だった。
養老先生の膨大な著作のほとんどを読んでいる。多くのことを学んだが、強く印象に残っていることは二つある。
一つ目。小学二年で終戦を迎え、教科書に墨を塗った体験。つまり、今まで教わっていたものは間違っていた、教科書は嘘を教えていた、ということを身体行為として儀式のように体験したこと。この行為は、「人間が作ったものは、結局は約束事に過ぎない」ということを鮮烈に体が記憶したのではなかろうか。養老先生の哲学の核を構成していると思う。
今は表面上での戦争はなくなり(少なくとも日本では)、それなりの平和が実現されている。人類は少しずつ進歩していると思いたい。でも、自分も養老先生がおっしゃるように、マスコミの報道や大本営発表の内容、わたしたちが漠然と抱いているイメージは、そのまま盲信しないようになった。自分の哲学や生き方は、自分の感性や手触りを元に創り上げないといけないと思う。本気で生き切ることでしか「自分」は育っていかない。そうして、場の論理・倫理と個の論理・倫理とが、せめぎあいながら綱引きのように一番いいバランスで拮抗し続ける必要があるのではないかな。決してあきらめずに。養老先生から受け取ったこと。
二つ目。4歳の時に父親を結核で亡くしている。そのとき、母親から「さようならと言いなさい」と言われたが、お別れの言葉を言えなかったらしい。おそらく、その事実を受け止めたくなかったのだろう。養老先生は、子ども時代、極度の人見知りで挨拶ができず、人の目を見て話ができない子だったらしく、そのことをよく叱られたとあった。・・・50年くらいたったある日、電車の中で突然気がついたと。それは、自分が職場や人間関係で挨拶ができないのは、さようならと言うと永遠の別れを意味するのではないか、と、4歳の父の死との別れが未だに影響し続けているのだ、ということ。その内的事実を自覚した時、突然涙が出てきて、その時にやっと父親が自分の中から死んだのだ、と。そうしたことがどこかの本の中に、いつもの快活な養老節とは違うトーンで秘かに忍び込ませるように書いてあったのを覚えている。養老先生の父の死。父の死を拒んだことが、人間社会と距離を置いて虫の世界へと没入していった子供時代と関係しているのだろう。
自分はこの二つのエピソードがとても好きだ。
そうした世間との距離感、死への感性は、自分の感覚と似ている気がしていた。気づいていないだけで、こうした体験が子どもの時にあった人も多いのではないのかな。巧妙に自分が蓋をして気づかないふりをしているだけで。
というのも、自分も子どものときに死ぬような体験を何度もしながらしぶとく生き残ってきたから、この生の世界からはじき出された場所からこの生の世界を見ている記憶が何度もあるからだ。この生きている人たちの世界は、真理そのものよりも約束事や便宜的なもので形作られていて、人々は本音ではぶつからず、建前の言葉で相互作用を拒否しあいながら生きているような気がした。そうして自分に嘘をついて生きている人たちが多い大人の社会を、どうにも疎ましく思ったものだ。そうして生きて死んでいったら、その人生は嘘なんじゃないか、と。課題と悔いを残して死んでいくのではないかな、と。
こどものとき、そうして大人の社会を拒否したが、今はそうしたことに嫌悪感も何もない。むしろ、現実の仕組みやメカニズムをよく捉えたうえで、そうした世界を嫌いにならず、好きになれる距離までうまく距離感をはかりながら、どうやってこの人生ゲーム・人生劇場を愉快に楽しく、そして慈悲と利他の心を忘れずに生きていくか、ということを考えたのだ。憎悪や利己ではなくて、慈悲や利他の感覚は、やはり自分の心身に余裕があることが前提で、自身のバランスを常に努めなければならない、と、子ども心に決意した。それはいまだに続いている。幕はいまだに閉まっていない。
そもそも、医者は病の原因をいろいろと調べて解決に向かっていくが、根本的な病の原因は生きていることそのものなのだ。生きているだけで、この絶妙な心身には必ず負荷がかかり、個人に応じて負荷が限度を越えると復元力が働き、その復元力を反対の方向から見ると「病」に見えるというのが本当なんだろう。
生きているとは、そういうことだ。だから自分は医者になった。
自分は養老先生と直接公開の場で話したかった。
なぜなら、養老先生がまだ生きているからだ。
それはぶつかり稽古のようなもので、相手が生きているからこそ、生身の肉体同士でぶつかりあうことができる。
自分が尊敬し影響を受けている人ならなおさらのことだ。
お互い、人生は長いようで短い。人生の幕はいつ締まるかわからない。
それならば、生きている間に会いたい人には会いたいと宣言し、なんとか会って、生身の肉体を通してしか受け取れないものを受け取るしかないではないか。
手塚治虫、岡本太郎、河合隼雄、三木成夫、武満徹・・・・日本人だけではなく海外でも会って話してみたかった人も無数にいる。すでに気づいたときはみなさん亡くなっていた。
死とは、物理的な肉体を通しては会えない事なのだろう。抽象的な場所でしか会うことができなくなるのが、生と死との違いなのだ。
そう考えると、同時代に生きて、同じ空気を吸って生きているならば、やはり会ったほうがいいとシンプルに思う。それは不可能ではない。
養老先生には、わざわざお越しいただいたお礼もかねて、帰りの鎌倉の自宅までお送りした。その旅の途中でも二人で色々なことを話した。養老先生が何を考えているのか、何を次の世代へ伝えようとしているのか、しっかり自分なりに受け取ったつもりだ。
そうして、思いは形を変えながら、人間という生命体を介しながら、伝言ゲームのようにつながっていくのだ。
(ABCにお越しいただいた方、ありがとうございました。ちゃんと挨拶できずにすみません。最後に甲野善紀にもコメントいただき、光栄でした。)
■2020/1/25(Sat):養老孟司×稲葉俊郎「いのちのきほんを捉えなおす」(稲葉俊郎「からだとこころの健康学」NHK出版 (2019/9/25)刊行記念イベント@青山ブックセンター本店(ABC)(東京都渋谷区神宮前5-53-67)
(小笠原里花さん撮影の写真をお借りしました。)
(こちらは学びのきほんTwitterより)
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