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ダンス「さわる/ふれる 〜ここにいない人と踊るためのエチュード〜」@山形ビエンナーレ2022

砂連尾理(Osamu Jareo)さんを呼びかけ人として、会場の中で繰り広げられるダンス。


●ダンスパフォーマンス「さわる/ふれる 〜ここにいない人と踊るためのエチュード〜」

9月11日(日)13:00-14:00






空気中の微粒子のように空間をただよいはじめるダンスは圧巻で、ゆるやかに侵入してくる風景に感動しました。

ダンスは、お互いの体が同期しているようで、独自の周期が呼応し合うようなメビウスの輪のようなダンス。















最後、中庭で終結し、多様な人々が場の器の中で踊るのですが、この風景があまりにも美しく、どこかの心象風景の記憶回路とつながるような深さを持っているのか、なぜか泣けました。


偶然(+必然)に生まれた光と影の強いコントラスト。

光と影を往復するような舞台として。自然を味方にする、というのは、それ自体がすでに「道(タオ)」に叶った生き方です。








わたしは、ヴィルヘルムのこの雨乞いの話を思い出しました。

ダンスの場全体が「タオ(道)」を象徴するようなもので。


東洋の伝統では、こうした場の相転移が起こることを、老子はタオ(道)と呼び、荘子は「混沌」と呼びました。


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Richard Wilhelm「黄金の華の秘密」より

ヴィルヘルムが住んでいた地方で、たいへんな干ばつがあった。何ヶ月もの間、一滴の雨も降らず、状況は深刻だった。

そこで、ある雨乞い師を呼ぶことになった。

老人は、静かな小さな家を貸してくれとだけ頼み、その家の中に閉じこもってしまった。

三日の間、その老人からは何の音沙汰もなかった。

ところがそれから三日が過ぎ、四日目に入ったとき、上空に雲が集まってきて、雪など降る季節ではないのに、大変な吹雪になった。町中は雨乞い師の話で持ちきりになったという。

 不思議に思ったヨーロッパ人は、その老人を訪ねて聞いた。「あなたはどのように雪を降らせたのか、教えてほしい」

 老人は答えた。

「私は雪を降らせたわけではない。わたしは関係ない」

「では、三日間、あなたは何をしていたのか」

「それなら説明できる。私は別の地域からここにやってきたのだが、そこでは万事が秩序立っていた。ところが、ここの人たちは秩序から外れていて天の命じる通りにはなっていなかった。そのために私までタオ(道)の中にいないという状態になってしまったのだ。そこで私は三日間、私がタオに帰って自然に雨がやってくるまで待っていなければならなかったということなのだ」

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その後の伊藤亜紗さん含めた対話の時間もよかった。

屋外では、その番外編?が行われており、サークルになる対話って素晴らしいなぁ、と。


●ダンスパフォーマンス アフタートーク

9月11日(日)14:30−15:30

登壇=砂連尾理(振付家/ダンサー)、伊藤亜紗(美学者/東京工業大学教授)、さえ(分身ロボットOriHimeパイロット)、ほか

司会進行=アイハラケンジ(まちのおくゆき キュレーター)









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