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地球規模の共同プロジェクト


前回の記事。

中村哲先生との個人的な思い出をFacebookに公開で書いたら、シェアが500件近くなっていて驚いた。

→〇中村哲先生との思い出(December 9, 2019)

社会の評価がどうなろうと哲先生は20年前から自分の中ではスーパースターだったけど、当時の日本の医学界の眼差しは冷たく冷ややかなものだった。 医学界もそうだが、有名になったり権威がついたりすると、途端に手のひら返しになることがある。言っていることは同じでも、権威が付与することで言葉が力を得て、交通手形を得る。

哲先生は、その仕組みもよくわかっていた。だからこそ、自分が有名人になることで人が耳を傾けるようになるのならば、有名人になることを厭わない人でもあった。言葉の通路を得るために。だからこそ、言葉は世界中に届いた。

有名になることは目的ではなく、あくまでも手段でしかない。もちろん、有名になると周囲があらゆるイメージを投影する場にもなるから、エゴ肥大(そして破滅)を起こす茨の道でもある。 哲先生は最後まで自身が損なわたり奪われたりすることはなかった。有名人や文化人や医者という一つの狭いサークルに入る気は最初からなくて、人助けという一点を見続けたことで、国境や人種や宗教を超えて周囲の人々に感化を与え続けた人だった。

日本と言う国は「場」の意識が強く、「場」に染まらない人は「場外」へと排除される。

だから、戦後の日本という底なし沼の場に溶け込んで自身を見失わないよう、自身がやりたいことが奪われないよう、日本という場の外である「外人」、日本という場とは異なる「異人」という立場に立つことで「自由」をこそ選択した。日本という巨大で得体のしれない場に対しても、真剣に揺さぶりをかけようとされていた。個の力と場の力とが、互いに干渉して打ち消し合うのではなく、高め合い深め合うようなあり方をこそ、異国で実現されようとしていた。

哲先生の生きざまが多くの人に伝わると嬉しい。 そして、それは他人事ではない。特殊な事例としてカタログにおさまるようなものではない。対岸の火事でもない。 あくまでも、わたしたちに託された地球規模の共同プロジェクトであるということが、自分は医学生の時に強く受け取ったことだ。

渡されて受け取った生命の火は、それぞれが生きている人生の道の中で、かすかな光であろうとも灯し続ける必要がある。火を絶やさないように大切に抱きかかえながら。

火はどれだけ分配しても決して減ることはない。どこかしら受け取った人の中で、静かに燃え続けているものだ。


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