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体を開く安全な場所


奥野美和さんの『風と毛穴 器官と音』のプレトークのときにもすこし触れたこと。 →●February 17, 2019 N///K「風と毛穴 器官と音」@座・高円寺2

それは感覚をひらく、とじる、ということに関して、体に許可を出す必要がある、ということ。それは現代という時代に、特に必要とされていること。萎縮して弱った体を日々触れている自分が、切実に感じていること。

東京での暮らしは、満員電車など含め、体が自動的に「情報遮断モード」に切り替わっている。つまり、体が感覚を閉じている。それは、体が自分を守るための優秀な機能でもあり、自動(オート)で行われているので、体の変化に気づいていない人も多い。

そうした日常の延長でダンスを見ると、体は感覚がオフになったままになっている。鑑賞者は体の感覚をオンへと、切り替えないといけない(ダンサーは常にオンになっているから、そこに溝があったりするわけだ)。感覚を開いていいよ、という体への許可をマニュアルで出す必要がある。

体は生命を守ることを第一原理として動いているので、感覚を閉じたままがいいのか、開いてもいいのか、混乱している。

体の感覚を閉じたまま音楽を聞き、美術を見ると、唯一起きて覚醒している「頭」で受け取ることになり、頭で知的に合理的に理解しようとしてしまう。知識を得る学習なら「頭」で理解してもいいが、芸術やダンスは「頭」ではなく、「体」で感じるものなので、「体」の感覚を、それこそ「全身の毛穴」を開くように、前準備が必要だ。体のポイントを別のレールへと切り替えないといけない。

美術の世界に慣れている人は、体がオートで閉じたり開いたりしているので問題ないのだが、あまり慣れていない人、なんだか意味がよくわからないと「頭」のつぶやきが常に聞こえてくる人は、体の感覚を自分自身で開く準備体操が必要になる。

そういうことを、ダンスの前にみんなで共有した。

そして、「体」の毛穴まで開くには、「ここは安全な場なのだ。誰からもジャッジされず、差別されず、力や暴力で支配されている場所ではない」ということが大前提として大切なことだ。

今はそういう場が急速に失われている。

本来は病院もそういう場であるはずなのだが、病院は治療に特化しすぎているので、安全・安心な場、という前提が失われている。

自分は、だからこそ、「劇場」であるとか、「銭湯・温泉」であるとか、「美術館」のような場、、、、こそが、誰からもジャッジされず受け入れられ、全身の毛穴を開くように感覚を開いても安全で安心な場として、求められているのではないかと、思う。

今は、街を歩いていても、電車に乗っても、車に乗っていての、家にいても、、、、みんなが漠然とした不安を感じ続けている。体は安心することができない殺伐とした時代になってしまった。体は常に緊張状態になり、戦闘モードになっている。それは体の自動モードなので、ほとんど気づかれない。TVでもネットでも、不安なニュースを流し続けている。情報公害のようなものに汚染され続けると、そうした環境にすら自覚できない。

だからこそ、命が安心できるような場、体を開いてゆるめて休んでほぐしてもいい場、こそが求められている。 そういう意味でも、医療や福祉がその世界に閉じこもっていくのではなく、他の世界に「開かれて」いきながら、安全で安心な場をつくっていけばいいと思うのだ。

人間の体はきわめて賢い。数十億年の歴史を引き継いでいる。

だからこそ、そうした安全で安心な場がありさえすれば、生命は生命それ自体の生きる力により、おのずから立ち上がっていくのだ。

それぞれの分野で生きている人たちが、寄せ鍋のように知恵を寄せ合い、新しい場づくりをできるのではないかと、自分は思う。

頭のおしゃべりをしばし黙らせて、そっと耳をすませば、その種はあらゆる場所にあり、その萌芽や胎動も、あらゆる場所で起きている。


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