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「井戸」を抜けて


「みみずくは黄昏に飛びたつ」(村上春樹、川上未映子)を読んでいる。

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P108-109 (例えば、ヨーロッパにおける神話の形って、いわゆる聖書とギリシア神話みたいなものの二本立てで、自分自身と神話世界がはっきり分かれていますよね。でも日本人の感性としては、たとえば魂が自由に行き来できたりする。)

うん、日本人の感覚では、あの世とこの世が行き来自由なわけです、ほとんど。 ご先祖様がちょっとうちに帰ってきたり、その辺の部屋の隅にいたり。お盆が終わると「ああ、お疲れ様でした」といって見送ったりとか(笑)。なんかそういう行き来自由なところがあります。融通無碍っていうか。 たとえば小野篁(おののたかむら)という人は、伝説によれば、この世と地獄のあいだを井戸を通って毎日行き来していたそうです。 昼間は役所で働いて、夜になると井戸を抜けて地獄に行って、閻魔大王の裁判の助手をしていて、朝になると別の井戸を通ってこの世に帰って来たということです。公務員のバイトみたいなもので(笑)。 その井戸はたしか今でも残っているはずです。でもギリシャ神話なんかになると、黄泉の国と現実の世界ってものすごくはっきりと隔てられています。自由に行き来なんてできない。 ---------

村上春樹さんの口から小野篁(おののたかむら)の名前が出てきた驚いた。

小野篁は極めて不思議な人物で、自分も以前から興味を持っていたからだ。

小野篁(802-853年)は、平安時代の人物で、公務員として重用されながら、和歌や漢詩や書画でも有名な歌人であり、夜にはあの世へ行って閻魔大臣の助手をしていた伝説がある不思議な人物だ。一説には小野小町、小野道風の祖父ともされる。

当時の法律書(『令義解』)の編纂にも関わりながら、漢詩に優れ、唐の大詩人である白居易と並ぶ人物とされた。実際、小野篁が遣唐使に任命されたことを知った白居易は、会うことを楽しみにしていたとのことだ。 ただ、小野篁が遣唐使で唐に渡ることは実現しなかった。

それどころか、何度も難破している遣唐使の乗船を途中で拒み、遣唐使のずさんなやり方を批判した漢詩(『西道謡』)を作った。そのことが嵯峨上皇の逆鱗に触れ、隠岐(島根の北方約50kmにある島)へ1年ほど流罪になっている。

「泣く涙 雨と降らなむ わたり川 水まさりなば かへりくるがに」小野篁『古今和歌集』

「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟」小野篁『百人一首』11番

■ 小野篁と因縁のある嵯峨上皇との間には、こうした面白いエピソードもある。

「子子子子子子子子子子子子」

この問題を考えたのが嵯峨天皇で、解いたのが小野篁とされているのだ。

嵯峨天皇の内裏に「無悪善」と落書きが書かれていて、嵯峨天皇は意味が分からなかったため、小野篁に読み方を尋ねた。 「さが(悪)なくてよからん(嵯峨天皇がいなければよいのに)」 とたちどころに読み、逆に怒りをかった。しかも、これを書いたのはお前に違いない、とされてしまった。

小野篁は、嵯峨天皇に対して自分は何でも読み解けるのだと主張し、嵯峨天皇が「子」の字を12個連ねた(子子子子子子子子子子子子)文字を書き、読んでみなさいと意地悪をする。 すると、篁は一瞬にして 「ねこのここねこ、ししのここじし(猫の子子猫、獅子の子子獅子)」 と読みあげ、嵯峨天皇の怒りを解いた、とされるエピソードが残っている。(『宇治拾遺物語』より)

そんな実務と芸術と人徳に秀でた小野篁は昼の顔だけではなく、神秘家としての夜の顔もあった。

夜になると、京都の東山にある六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)の井戸を通って地獄に行き閻魔大王の手伝いをして、朝になると嵯峨の福生寺の井戸を通って地上に戻ってきたともされている。

『今昔物語集』にも、閻魔大王が小野篁の進言によって、右大臣・藤原良相(よしみ)の罪を許したという話がある。

六道珍皇寺 京都府京都市東山区大和大路通四条下ル4丁目小松町595

今でも六道珍皇寺の中には、あの世への入り口といわれる古井戸がある。

「井戸」の存在。春樹作品にもよく出てくるモチーフだ。 井戸を通り、闇を経験し、光と影とが統合され、変容を起こす「夜の航海」のモチーフとして。

そうした謎の経歴を持つ小野篁の墓は、紫式部の墓の横にある。 仏教が広まっていた時期だからだろうか、当時、紫式部は色恋沙汰を書いて多くの人の心を惑わせた罪で地獄に堕ちたと噂されていた。 そのため、紫式部のあの世での救済を願うファンが、小野篁の墓を隣に作ったとされている。

紫式部墓・小野篁墓  〒603-8165 京都市北区紫野西御所田町,堀川北大路通下る西側 島津製作所紫野工場東隣

「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟」

小野篁『百人一首』11番

小野篁が詠んだ百人一首で有名なこの唄は、まさに隠岐へ流刑になった状況を歌っている。

こうした苦しい体験は「井戸」を抜けるような孤独で死を垣間見る辛い体験だが、その苦しみを和歌という芸術に昇華させることで、心の葛藤の創造的な解決を図っていたのだと思う。 時代を超えた芸術には、そういう要素が人知れず含まれている。


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