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冬があるから春がある

軽井沢にいると、春の芽生えとして、植物世界が一斉に堰を切ったように同期して活動し始めることに驚く。

植物は自然界とシンクロしている。植物的世界を内臓として持つ人間も、その意義をはらわた感覚ではきっとわかっているはずだ。

自然の中にいると、冬があるからこそ春の芽生えがあり、春の芽生えのために冬があることが分かる。

地下に潜って力を蓄える冬の季節は、生命の働きにとってきわめて大事なことなのだ。 コロナ騒動で社会の動きが止まっている今の時間は、まさに冬であり、それは春の芽生えのために必要な時期なのだと思う。社会が春、春、春、春、であることはあり得ない。春、夏、秋、冬の巡りの中でこそ、持続可能な社会へと一歩ずつ近づいていく。
















水と風。森と影。 森のささやきは、影の世界を介してこそ、聞こえてくるような気がしてドキドキする。




水という存在は、光、風、密度・・。 あらゆる条件の中で色々な表情を見せ続けて、奥が深いなぁ、と改めて思う。あまりに当たり前にありすぎるからこそ。

水は、複雑に重なったこの世界のリアリティーの中間点で調節をしているような役割なのだろう。 水が生命の母体だ。

ふと武満徹さんの音楽を思い出した。

武満さんは軽井沢からすぐ近くの御代田に別荘を持たれていたので、同じ風景を共有していたのだと思うと、生死の次元を超えて、うれしい。








―――――――――― 武満徹「二つのもの‐作家の生活」 夢・数・水 現在(いま)私が書いている音楽について考えてみると、 この数年「夢(ドリーム)」と「数(ナンバー)」、そして曖昧な「水(ウォーター)」というものに強く影響を受けていることに気づく。 それは半ば意識的でもあり、また半ば無意識的であるともいえる。 わたしは思考や表現を活き活きとしたものにするためにこうした対立概念を導くのだが、 「夢」という不定形への欲望と、「数」の定型を目指す意志との衝突が、思考を静的なものに止めない。 「水」は、「夢」と「数」の統合された貌(すがた)であり、その両者の異なる性質を同時に具えている。 身近な死の汀(みぎわ)から無限の死の涯までを満たしているもの。

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